第3回 丁稚の夢は世界をかける

村田沙耶香さんが芥川賞を受賞しましたね。こちら側の作家さんだと思っていたので、うれしいのと同時に、どこか遠くに行ってしまわれたようでさみしい気もいたします。

官能小説界の大御所である宇能鴻一郎さんも芥川賞作家であり、直木賞作家である姫野カオルコさんのデビュー作も官能小説でした。

文芸としての官能、官能としての文芸、いったい、どのように違うのでしょうか。泉鏡花、川端康成、谷崎潤一郎や三島由紀夫などに、官能的な文芸作品があります。僕は官能小説を読んでいて、これらにひけをとらないと思う作品に出会うのです。

IMG_0145官能小説は過小評価され、文芸とは別物と思われがちですが、もっとも筆力を問われる分野ではないでしょうか。よく泣かせるよりも笑わせるほうが難しいといわれますが、活字のみで欲情をあおり、性器に生理現象を起こさせるには、相当の筆力がいると思います。ただ裸であると書いても人は欲情しません。誰もゴリラの裸を見て興奮しませんよね。

リアル書店において官能小説のコーナーは奥のほうにひっそりと存在します。そこは隔離されたような、まるで異空間のようです。そこで他人の目を気にしながら物色し、レジで精算するのもばつが悪い。買うにも、読むのにも後ろめたさを感じてしまうのが官能小説です。

しかしながら、官能小説はエロ本ではありません。ちゃんとした文芸であり、その極致です。エンターテインメント作品として他に遜色はなく、しかも実用性をかねています。不当な過小評価は官能小説を読んだことのない人たちが勝手にはったレッテルです。人類はエロスを追求しなくなれば滅びてしまうのです。

西荻窪の書店で官能小説と岩波文庫が並べて陳列されていたので、その理由を店員さんに聞いたことがあります。帰ってきた答えは「読者は同じですよ」というものでした。そして、思い出しました。新宿の紀伊國屋書店の文庫コーナーもそうだ。官能小説を読むということは、はたから思われているほど恥ずべき行為ではなく、もっとも高尚な趣味であることを知っている人はいるのです。

いまの官能小説には、なにをおそれてのことか、制約というものがあります。また、編集者からこのように書いてほしいという方程式のようなものもあり、それはマーケットをリサーチした上で綿密に作られ、そしてそういう作品はそれなりのセールスを達成しています。それはそれで正しいと思います。しかしながら、それは作家をばかにした行為であり、さらに言うなら、読者をもばかにした行為だと考えます。本当におもしろい作品とは、作家がおもしろいと思って書いたものではないでしょうか。なんら制限にしばられることなく、作家が書きたいものを書いた作品こそ、僕が読みたいものなのです。

性器に生理現象をもよおすという実用性をそなえているとはいえ、官能小説はリアリティーを追究しているわけではありません。基本的にはファンタジーです。現実では不可能でも、小説のなかで夢をかなえてくれます。それを読むことで元気になり、明日の活力となります。

これからこのコーナーで、官能小説の具体的な楽しみ方を書いてゆきたいと思います。それに対してご意見があれば、どんどんとおよせください。みなさんといっしょに官能小説をもりあげてゆければ、はなはだ幸せだと思うのです。

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